自閉症の弟のこと Vol 2
弟が、この世に生を受けた頃は、正直な話、弟のことを、かわいいとは思っていなかった。
私が6歳のときで、二人姉弟だ。
それまで一人っ子状態で、親の愛を一身に受けて育った私は、親を取られたように感じていたのである。
幼い頃の弟は、とにかくじっと大人しくしていなかったので、目を離すことができなかった。
よく行方不明になって、警察のお世話になることが度々あった。
また、尿意や便意を家族に伝えるタイミングが合わなくて、トイレの失敗もよくあった。
普通の子がよくやるような悪戯もした。
私のリカちゃん人形のサングラスが無くなって探したけれど見つからず、諦めていたら、ある日、飾ってあった雛人形のお内裏様がサングラスをしていた、なんてこともあった。
庭から蛙を捕まえてきて、それを食卓の茶碗に入れて、人を驚かせたりすることもあった。
本が好きな両親は弟に言葉を覚えさせるために、沢山の本を読んで聞かせてくれた。
弟は、片っ端からいろんな本を読んで欲しいと要求するようになり、また、同じ本を何回も人に読ませることもあった。
そのうちに、読んでもらった本の内容を暗記するようになり、父の200ページ以上もある盆栽の本の内容を一字一句正確に覚えていて、それを私たちに読ませて私たちが言い間違えると、わざと訂正するのだ。
本の内容については、理解していないのだけれど、この暗記力と集中力には、両親も私も驚いた。
それだけに両親は、弟が小学校低学年のうちは、普通の生活が送れる日がくるのではないかという期待もあったようだが、会話のキャッチボールができるようにはならなかった。
成長するにつれて、過度な期待は弟を苦しめることに気がついて、あるがままを受け入れるようになった。
そうすると、トイレも自分で行けるようになり、養護学校の高等部ではローラースケートをしたり、毎朝、鶏が生んだ卵を集めるような仕事もこなすようになった。
彼には彼の世界があるのだと思う。
弟はイクラが好きなのだが、回転寿司に行って、母が回っているイクラを取って弟に勧めたら、食べようとしない。どうしたのかと思っていたら、一言、
「乾いてる」
私だって言わないようなことを言う。
父が他界したとき、お葬式でも泣かなかったので、父の死を理解していないのかなと思っていたら、ある日、仏間に一人で遺影に向かって号泣していた。
彼は本と珈琲をこよなく愛しており、外出時にカフェに行くのが、大の楽しみである。
そんな弟と会うのが、私にとっても癒しになっている。
童顔なので、Tシャツ着てキャップなんか被っていると、なぜか中高生みたいに見える。
とても50歳には見えない。
一緒に歩いていると、「息子さんですか?」と言われるので、すかさず、「いいえ、弟です。」と答えている。