私の理想の生活ー山奥ニート
今朝、テレビで「山奥ニート」なる生活をしている人たちを紹介していた。
ひきこもりとなって大学を中退し、ネットを通じて知り合ったニート仲間と2014年から和歌山の山奥の限界集落に移住した石井氏。
以来、駅から車で2時間の限界集落に暮らしている。
月の生活費は1万8千円。収入源は紀州梅の収穫や草刈のお駄賃、ブログの広告収入など。
自然農法とか知らずに始めた家庭菜園レベルの畑らしいけれど、自給自足の生活ができているらしい。
ネットがあれば、買い物も娯楽も大丈夫。
地域のお年寄りと助け合って生活している。
「なるべく働かず、面倒くさい人間関係から離れて生きていく」って、いいなぁ。
私がソローの「森の生活」を読んで、思い描いていた生活に近いです。
本も出しているみたいで、読んでみようっと。
クラスターについて
以前、弟の入所している施設で、新型コロナのクラスターが発生したことを書きました。
昨年12月の始めに一人の男性利用者に発熱の症状が出たので、施設の利用者と職員全員のPCR検査をしてみたら、7人の感染者が発覚し、すぐに隔離などの対応はしているのですが、あっという間に拡がって、最終的に利用者38名、職員6名のクラスターになってしまいました。
その後、新たな感染者は出ておらず、このままいけば、2月には終息ということらしいのですが、厳重管理ということになり、利用者全員、年末帰省無し、面会、外出もしていません。
例年のお正月だと、弟を家に連れて帰って一泊させているのですが、それも出来なかったので、お菓子や本などの差し入れはしています。
私も仕事が仕事なだけに、自分が感染して、患者さんに拡げるようなことは絶対避けなければいけません。
医療従事者だけではなく、こういった施設の職員の方々もまさに体を張った仕事で、大変だと思います。
本当に頭が上がりません。
男性利用者の多くが感染したので、うちの弟も感染するのでは?と思い、ヒヤヒヤしていましたが、自室に引きこもって陰性をキープしています。
感染した利用者の大半と職員は健康を取り戻しているとのことで、少しほっとしているところです。
治療中の方の一日も早い回復を祈っています。
三途の川を渡る舟は三人乗り?
4日から5日にかけて、職場で3人の患者さんが、お亡くなりになりました。
コロナではありません。他の病気です。
私の職場では昔から、何故か患者さんが一人、お亡くなりになると、立て続けに他に二人の患者さんがお亡くなりになるのです。
職員同士では「〇〇さん、一人で逝くのが淋しくて連れていっちゃったのかな?」
なんて会話をよくします。
休憩時間に、その話をしていたら、ある看護師が真顔で
「三途の川を渡る舟が三人乗りらしいんですよ。一人では舟が出せないから、他に二人連れて行ってしまうらしいです。」
私たちは、人の死を決して軽々しく扱っているつもりはありません。
でも、この話を聞いた時思わず、「えぇ~マジか」という言葉が出てしまいました。
まさかと思って、ネットで調べてみたら、SNSで「三途の川を渡る舟は三人乗り説」を挙げている人がいるんです。
立て続けに三人って、他の病院でもよくある話みたいです。
何処かの病院みたいに、点滴に何か混ぜてるわけじゃないですよ。
世の中には科学では解明できないことがあるものですね。
明けましておめでとうございます
いつも、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
皆様、今年のお正月はいかがお過ごしでしたか?
旅行ができないので、家でノンビリ過ごされた方も多いのではないでしょうか?
私は元旦は家で過ごし、昨日は仕事でしたが、職場は割と落ち着いていたので、ひとまず安心。
今日は、庭の草刈りをしていました。
なぜ、雑草の生えにくい冬に草刈りをしているのかというと、昨年の秋口に草刈りをサボったのです。
例年だと以前、ブログの「雑草とのつきあい方」で書いたように、雑草を土の高さから5センチほどのところで刈り揃えているのですが、昨年はコロナで気分的に引きこもりがちで、夏を過ぎたあたりから、庭の手入れをやっていませんでした。
大抵の雑草は枯れて消えるのですが、メヒシバという雑草は枯れても茎が強くて、そのままの形でワサワサと存在しているので、刈り取らないでいると、春にそのワサワサの間から更にいろんな雑草が生えてくることになります。
寒かったけれど、今日は久々に我が家の庭のお相手をしました。
ヘンリー・デヴィッド・ソローみたいに、森と友達になるには、環境的に難しいけれど
庭の雑草は、私の友達です。
もう少し暖かくなってきて、春の兆しが見えてくる頃には、オオイヌノフグリやスミレ、カタバミ、ホトケノザ、オランダミミナグサ、たんぽぽ、よもぎ、ドクダミ、キュウリグサなどが賑やかに生えてきて、いろんな花を見せてくれるのです。
一年のうちで、私が最も好きな季節です。
コロナの影響
最近になって、私の身の回りでもコロナの影響が出始めました。
まず、自閉症の弟が入所している施設でクラスターが発生したこと(不幸中の幸いで、弟は感染していません)
私の勤める病院ではクラスターは発生していませんが、辞める職員やメンタルダウンして休職する職員などが出て、深刻な人手不足に陥っています。
私にとって、人のブログを読んだり、ブログを書くことは、仕事とプライベートとの精神的バランスをとるためのものだったのですが、自分の思考をアウトプットする心の余裕がなくなってきました。
恐らく、何もせずボーっとする時間が必要なのかと思います。
わりとメンタルが浮上しやすい質なので、休日にまた、すぐ戻ってくると思います。
ここで私がまた、何やらアホなことをホザいていたら、ぜひ、よろしくお付き合いお願いします。
北海道の話
80年代にテレビで「北の国から」という、北海道富良野市を舞台にしたドラマが放映されていて、独身の私はそれをよく見ていました。
脚本家 倉本聰氏のエッセイもいくつか読んでいて、まぁミーハーでしたね。
北海道に対して憧れをもっていました。
バブル真っ盛りの頃でした。
26歳の時に友人の紹介で夫と知り合い、彼の実家が北海道で牧場を営んでいること、手作りの家のこと、薪を焚いて風呂を沸かしたり、ご飯を炊いたりするのは彼の役目だったこと、馬車や馬橇を使っていた話に、どんどん引き込まれました。
子供の頃、ハワイと東京と千葉を転々として育った私にはカルチャーショックでした。
「牧場のお嫁さんになるのも悪くないなぁ」なんて舞い上がって、能天気なことを考えたこともありました。
でも現実は、夫は関東にあるIT関連の会社に勤めるエンジニア、実家の牧場とは真逆でした。
夫曰く、「生き物相手の仕事は休みもないし、生活するのは大変だから牧場を継ぐつもりはない。だいたい、大学の学費だって自分で稼いで親父に出してもらったわけじゃない。」
実家では義父以外の家族全員が牧場を続けていくことに反対していて、義父だけが頑なに牧場を続けていました。
そんな義父を不憫に思い、「私、北海道行ってしばらく、お父さんの手伝いしてきてもいい?」とでも言おうものなら、夫から「そんなことするなら離婚する!」
義母は元々、働き者な人で、義父以上に実際に牧場を切り盛りしていましたが、牧草のカビを長年吸い込んだために、アレルギーを起こし肺水腫になっており、牧場の仕事はできなくなっていました。
家族会議を開いても議論が白熱してくると、「巨人の星」の星一徹ばりに義父が拳を振り上げてテーブルを叩き、話し合いにはならなかったようです。
結婚してしばらくした頃、夫の郷里で中学校時代の同窓会があり、夫婦同伴で参加しました。
みんな久しぶりに会って「いゃいゃ、頭薄くなったんでないかい?」とか「太ったなぁ」、「お前がよく結婚できたなぁ」なんて会話で賑やかに盛り上がっているのを聞いていると
「牧場って、のんびり、のどかにやってるイメージあるでしょ。」と郷里で牧場を営んでいる夫の親友に声をかけられました。
どう返答すればいいか戸惑いながら頷くと「牧場始めるのに、お金どのくらい必要だと思う?」と聞かれました。
考えていると、その親友は片手を出し「実はさ、これぐらいあっても足りないのさ。」
何も知らない、あまちゃんだった私は咄嗟に「えっ、ごひゃく?」
親友は日焼けした顔で、人懐っこく笑いながら「5000万」
広大な牧場で牧草を刈ったり、その牧草をロールにしたりするトラクターは、今でこそ
クボタなどで多少出ているものの、昔はほとんどが外国製で、2000万、3000万するのもざらなのでした。
それに今では、家畜の糞尿は産業廃棄物とされ、その処理施設を作るのに1億掛けた酪農家もいるんだとか。
親友は学生時代、成績が優秀で大学を目指していたものの、父親がトラクターに足を挟まれ切断する事故に遭い、進学を断念し家業を継いだのでした。
近所だから、義父がひとりで牧場をやっていることも知っていて、
「親父さんの夢とかさ、気持ちは痛いほどわかるのさ。だけど、冬は仕事が無いから出稼ぎに出たり、現実は甘くないのヨ。」
今日の話はここまでにします。
ソローの「ウォールデン・森の生活」を読んで家について考える
以前ブログで、ヘンリー・D・ソローの「ウォールデン・森の生活」を図書館で借りて読んでいると書きましたが、まだ、チマチマと読んでおります。
読書好きの人からすると、まだ読み終わってないのかと思われるかもしれませんが、何せ激務の肉体労働者なもんですから、読んでいるうちに寝落ちすることもしばしばです。
読もうと思ったきっかけは、あるYouTuber のこの本の書評を見て、生きていく上で、幸せについて深く考えてみたかったからです。
実は定年まで4年、まだ働くことにしている自分が、今これを読むことによって、「今すぐ仕事辞めた~い」ってなりそうで、ちょっと怖かったですが。
ソローはハーバード大学を卒業した後、家業の鉛筆製造業、教師、測量の仕事などに従事しますが、生涯定職に就かず、効率性の追求や物質主義を批判し、28歳の時に、マサチューセッツ州コンコードにあるウォールデン池の近くの森に丸太小屋を自分で建てて自給自足の生活を2年2か月送ります。
この本は、その時に執筆されました。
物事の多岐にわたって書かれているのですが、今日は家について感じたことを書きます。
本の中でインディアンのウィグアムという住居について触れていて、暖かく樹皮で丁寧にしっかりと被ってあって、美しい模様を描いたゴザが敷かれ、同じように美しいゴザで内張りされ、多数の調度品が備えられていたと記されています。
また、天井には通気を調節できる換気口が設けられ、家族が住むのに十分な広さがあり、一日か二日で建てることが出来て、畳んで撤去し、再び建てるにも数時間あれば十分とあります。
未開の人には心地よいウィグアムがあるのに、現代の文明化した社会では、全体の半ばを超える家族が住居を持てない、という現実を指摘しています。
今から160年ほど前のアメリカで書かれた本ですが、現代の日本でも同じことが言えるのではないでしょうか。
資本主義社会の限界が近づいてきて、多くの若者が非正規雇用で働かなければならず、家を持とうにも持てない。
また、夫婦共働きで理想の家を35年ローンで買い、頑張って働いていたのに、夫婦のどちらかがリストラに遭い、計画が狂う、子供の大学の学費が払えない、など。
借家の場合でも、毎月の家賃は大きな支出であることが多いと思います。
家を手に入れることができたとしても、日本では経年によって家の価値は下がってしまい、ずっと今の家に生涯住み続けたいと思っていても、病気で動けなくなったら住むことは難しいです。
最近、空き家が目立つようになってきました。
法律では所有権が云々言われていますけれど、誰も住んでいなくて雑草もボーボー生えっぱなしなのに、何が所有権でしょう。
そんな状況だったら、誰かに住んでもらった方がよっぽど、家だって喜ぶでしょう。
現代の私たちに、インディアンのような知恵があったら、どんなに幸せだろう。
もし津波で家が流されたとしても、家族さえ無事でいたら、お金なんてそんなになくても、一日か二日で家が建てられる。
今の日本社会では、家を持つことに、あまりにも負荷がかかり過ぎている。
と、まぁ私がブログでホザいたところで、何も変えられないか。
でも、コロナで人々の意識が変わっていくんじゃないかという予感はあります。
話が逸れますが、うちの夫が生まれた家は、北海道の開拓で、義父が建てたものだったそうです。
家の隙間から雪が入ってきて、朝起きると顔の上に雪が積もっていたそうです。
引っ越して二番目に住んだ家は二階建てで、一階が十分広くて、二階は作ってあるけれど、二階に通じる階段がない、というユニークな家です。
五右衛門風呂の湯を沸かすのは、長男の夫の役目だったそうです。
極寒の地なので苦労も多かったようなのですが、話を聞いていると、まさにリアル「北の国から」です。
北海道の父の偉大さを感じます。
北海道の話はまた、別の機会で書きます。